窓の外は台風かな。

悪党

台風が来ています。

今日は予約した場所に行く予定だったのですが、予約をキャンセルして、別の日にしました。
準備をして、時間も空けていたので、少々もったいない気分です。
どちらにしろ、すぐに行かなくてはいけないので。

そう思ってキャンセル後に窓の外を見ると、わりと普通の雨でした。
豪雨ではないです。
なぜか悔しくもなります。
しばらく経って、やがて豪雨になれば、私の心は落ち着く方向に進むでしょう。

人間の不幸は比較から始まるのだそうです。

今回の予約キャンセルに関することで考えると、予約変更の電話をすることと、後日別の日にそこに行くことを最初からしなくてはいけないことと知っていれば、もったいない気分も、悔しい思いもないでしょう。
しなくてはいけないことが想定よりも増えたことで、増える前後を比較するのです。

スーパーで予定していた物を、予定していた金額で購入します。
会計を済ませた後に、店員さんが新たに値引きシールを張っているのを見ます。
会計後に値引きシールを張られても、支払う金額が増える訳でもないのに、まるで追加でお金を払ったかのような悔しい思いをします。
支払った金額との比較の対象が、予定金額とだったら、悔しい思いはしないはずですが、値引き後の金額と比較すると悔しいことになります。

動物は、失敗を回避する本能を持っています。
野生の世界は、自身の生命の維持という観点で言えば、非常に厳しい世界です。
ちょっとしたミスで、直ちに死んでしまうのです。
まさにサバイバルです。
人間も、野生の世界で生きた時代の癖が残っています。

ちょっとしたミスで直ちに死んでしまうことが頻発している環境にいるのなら、ミスをいかに少なくするかが、非常に重要になります。
なるべくミスをしないように、なるべく多くのミスを発見し、最も優良な状態に、固着するようになっています。

だから、現状と望ましい状況の差が大きいところに意識がよりいくようになっています。
その際に、現状との比較対象が次に活かせるとか、実現可能なのかといったところまでは、残念ながら私たちの本能は気を利かせてはくれません。
結果的に、人間は自動的に悔しいこと探し、不幸探しをしてしまうということになります。

基本的に人間は、もう野生の世界には生きていません。
ちょっとしたミスで直ちに死んでしまうような危機は、特殊な環境以外はほとんどなくなりました。
代わりに社会環境という複雑で継続的なストレス源があふれるフィールドに、環境は変化しましたが、動物の生物的な進化、適応のスピードはそこまでは早くはないのです。
(世代交代による適応と繁殖、淘汰のシステムも、現在人間社会と自然界とは異なりますから、上記のスピードは相当遅いと思います。)

本能は、本人の生命維持のために良かれと思って、行動や出来事には、「気持ちいい」、「気持ち悪い」、「幸せ」、「不幸せ」という感覚を、今後のその行動やその出来事の回避有無の判断基準として与え、今後の行動の判断を誤る可能性を低くしようとする機能を持っています。
しかし、現在人間社会においては、その機能の有効性は昔のようにはないのです。

改めて思ったこととしては、「雨や値引きシールのような、無駄な比較はしない方がいい」というのもあるのですが、過去や未来や自分以外の人についてはともかく、「今現在の自分が幸福なのか不幸なのかって、そんなに執着しなくてもいいんじゃないかな」ということです。

そんな気持ちで、今夜は豪雨かなとか、外の様子を時々窓から感じてみようかなと思います。

悪党

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